今日、比日は「黄金時代」と言われる良好な関係を享受しており、日本人というだけで尊敬、
信頼いただけることも珍しくありません。
私自身も、観光業など両国にまたがる事業に40 年以上携わる中で、フィリピンの方々より数々のご厚意を頂いてきました。
しかし歴史を振り返れば、この友好関係は奇跡というほかありません。
凄惨を極めた先の大戦で主戦場となったフィリピンは、戦後、対日感情が極めて厳しく、
賠償交渉が最も難航した国だったからです。
そうした状況を転換し、和解への道を拓いたのは、エルピディオ・キリノ第6代大統領でした。
大統領は1953 年、苦悩の末、BC級戦犯としてモンテンルパ刑務所に服役していた100 余名の日本人将兵へ恩赦を決断されます。
キリノ大統領は声明で、その思いをこう述べられています。
「妻と3人の子ども、親族5人を殺された私だからこそ、恩赦を与える最後の大統領となるべきだ。
私は子孫と国民に、我々の友となり我が国に末永く恩恵をもたらすであろう日本人への憎悪を、私から受け継いでほしくない。
人類愛こそが、平和のもといなのだから」――。
もし大統領が「赦し難きを赦す」ご決断をされなかったら、今の友好関係はなかったはずです。
私自身、7歳のころ空襲で母と兄弟を失っており、戦火で家族の命を奪われた悲しみ、
平和の尊さを身に沁みて知る日本で最後の世代です。
これは、過去だけの話ではありません。
世界中で対立が深まる今、「憎しみの連鎖を断ち、平和へ手を差し伸べる」という
キリノ大統領の精神は、ますます意義を強めていると感じずにはいられません。
キリノ大統領の顕彰碑は日本には2016 年に建立されておりますが、残念なことに、
本国フィリピンにはそうした碑はなく、その功績を知る人は限られております。
そこで、大統領のご偉業を将来の比日友好を担う次世代に伝えるべく、
比日和平の始まりの地・モンテンルパ市に顕彰碑を建立する計画を発起いたしました。
この計画は越川和彦前大使からのご賛同も得られ、今年2月、当局から建立許可を受領いたしました。
また昨年11 月に比日友好親善を目的とするNPO法人「比日連合財団」を立ち上げ、今年2月29 日には
予定地で起工式を主催いたしました。
去る4月には、ご新任の遠藤和也大使にご挨拶し、この計画へのご支持を頂戴しております。
建立費用につきましては財団基金と賛同者様からのご支援により賄っておりますが、
今後の維持費などを考えるとまだ十分ではありません。
そこで、ご当地でご活躍の皆様に温かいご支援をお願いする所存でございます。